
昨年の能登半島地震で被災された皆様、関係者の方々へ心よりお見舞い申し上げます。また、30年前、阪神淡路大震災で被災された方々、関係者の皆様へ重ねて心よりお見舞い申し上げます。
みなさんこんにちは。京都で注文住宅、リノベーション、リフォームを手がける「あまねこう」工事担当の中川です。
今日は、私たち住宅事業に関わる人間にとっては忘れることのできない、忘れてはいけない日です。阪神淡路大震災の起きた日です。
30年前のこの日、中川は京都市の自宅にいました。社会人になっていましたが、勤めた会社を退職し、実家の工務店を手伝っていました。
早朝、今まで経験したことの無い大きな揺れを感じ、タンスや家具などが倒れてくるのでは無いかと飛び起きたのを今でもハッキリと覚えています。
当日の最初の仕事は人助けでした。
地震がおさまった後、正直「すげー揺れたな」とホッとし、そのまま起きて仕事への身支度を始めました。
父親と同居していましたが、父親は朝5時半くらいに事務所に出勤しています。自宅では私一人です。顔を洗い、着替えを済まし、何気にテレビをオンにしたのが6時半くらいだったと思います。
壮絶な光景がテレビに映し出されていました。
すぐに父親の会社に向かい、皆で大変なことになったと話をしていると会社へ一本の電話が。
仕事をさせていただいたお客様からで、「家族が部屋に閉じ込められて出られなくなった!助けてほしい!」という内容でした。
すぐにお住まいに向かいました。
地震で家具が移動してしまい開かなくなったドアを、数人でこじ開けたのがその日の最初の仕事でした。
震災数日後には神戸に

震災数日後には、神戸にいました。被害に遭われたお客様のお住まいの諸事の手伝いです。
水も電気も使えない現地で数日寝泊まりしていました。余震もすごく、正直「死ぬかも」と思っていました。
朝、泊まっていた部屋からお客様のところへ歩いて向かう。夕方、帰ってくる際に、朝には在った家が余震で崩れている…そんな光景を数えきれないほど自分の目で見たのです。
言葉にはならない想い

中川は直接被災したわけではありません。
しかし、震災直後の神戸に1週間ほど滞在し、言葉にはならない感情を抱きながら過ごしたのを覚えています。
道を歩いていると「大丈夫か?」と何人にも声をかけていただきました。「京都から来たんです」と返事をすることに罪悪感を感じるほどの人の優しさに触れました。
毎年、この1月17日が来ると言葉にならない感情を思い出します。
「耐震性の高い家を提供しよう」
「地震が来ても大丈夫ですよ」
などの、そんな軽い想いではありません。
うまい言葉がいまだに見つかりませんが、この日は私にとっても、業界に携わる人にとっても特別な日だと思います。
そしてそれ以上に、まだ苦しんでいる方も身近にいます。忘れないように、そしてさらに身を引き締める意味で工事日記を綴りました。
京都市で家を建てるなら地元の工務店へ
京都での家づくりには、少し気をつけておきたい地域特有の事情があります。
たとえば「景観条例」に代表される独自のルールや、道幅が狭く土地の形が複雑な場所が多いことなど、他の地域とは少し異なる条件があるためです。
そうした背景をふまえると、地元での経験が豊富で、京都の家づくりに慣れている工務店を選ぶことが、安心につながるポイントになってきます。
土地や法規制に合わせたご提案や、現場でのスムーズな対応など、地域をよく知る工務店だからこそできることがあります。
この記事を書いた人

中川 高士:あまねこう代表
京都産業大学卒業。
2024年、京都府向日市より「向日市固定資産税評価委員会」委員を拝命。
実家が工務店という環境で育ち、幼い頃から自然と建築の世界に親しむ。
大手ハウスメーカー、地域ビルダー、そして社員一人の小規模工務店まで、様々な建築会社で28年以上にわたり経験を積む。営業職からスタートし、各社で現場管理・事業マネジメントまで幅広く担ってきた。
2023年に独立。
現在は「営業から現場管理までこなす建築マルチプレーヤー」として活動中。
「愛犬家住宅コーディネーター」「ホウ酸施工管理技士」「空気測定士」などの資格を活かし、「家を建てる」だけでなく「暮らしをつくる」ことを重視した住まいづくりのサービスを提供している。
住まいづくりで悩む方々へ
「他社で質問しても今ひとつハッキリしない」
「いろいろ勉強してからスタートしたい」
いい家を建てたいなら、
いい住まいづくりをしないと失敗します。